夕餉の香り

 夕暮れ時、帰り道でも出掛ける途中でもどちらでも良いけれど、通りを歩いていて鼻に届くいろいろなにおい。台所から流れてくる、カレーやシチュー、みそ汁や煮物の香り。時にはニンニクやハーブの香りかも知れない。それに、焼き肉、すき焼き、餃子や焼きそばが焼ける香りもある。
 一人暮らしをはじめて、自分で食事を用意するようになり、誰も私を待って居らず何の香りも出していない台所へたどり着くまでの帰途、半ば強制的にかがされるご近所さん宅の夕食の香りをかぐと、なぜかつい、紫と橙の交じった夕空を仰ぎ見てしまう。今でもそうだ。
 大学に入り立てのあの頃は、その香りをかぐだけで猛烈な郷愁に襲われた。そこに、温かそうな橙色の光が窓の向こうに見えたり、「ただいま!」と帰宅を告げる元気な声が加わったりしたら、涙が浮かんでしまうこともあった。さすがに、今となってはそこまで感傷的にはならないけれど、それでも、夕餉の香りに、実家にいる家族を思い出すことがある。
 さっき帰り道に漂っていたのは、醤油を使った煮物の匂いだった。
 今日、母は何を作っていたのだろう。