『モモ』

ミヒャエル・エンデ著、大島かおり訳 岩波少年文庫
 ☆☆☆☆☆(とても面白かったの意)
 「時間どろぼうと、ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」−−と、副題にあるとおりの物語。けれど、読み進めていくうちに、この物語は、単純に「ふしぎな物語」と片づけてしまってはいけないように感じ始めた。
 その大きな理由のひとつが、「ぬすまれた時間をとりかえす」という行為に託されたメッセージ。
 「灰色の男たち」が時間を盗む手口はとても巧妙で、道路掃除夫ベッポ以外の大人たちは、自分が時間を盗まれていることに気付かない。大人たちは、本当はゆたかで幸福だった筈の時間を無くし、心の底では不安を感じているはずなのに、物質や金銭的な潤いに目を眩まされて、更に効率化に励み、多忙に身をやつしてしまう。「灰色の男たち」は、「時間節約」こそ「生活をゆたかにする」方法だ、「時間節約をしてこそ未来がある」という考えを人々に植え付け、その節約された時間を盗んでいるのだ。
 この、盗まれた時間の内実が、とても興味深い。
 例えば、床屋のフージー氏の場合。彼が「節約」した時間は

  • 一人一人の客にゆっくりと応対し、楽しく仕事をしていた時間
  • 耳の聞こえないお母さんを相手におしゃべりをする時間
  • 体の不自由なお母さんにかわって家事をする時間
  • 映画や、合唱団の練習、飲み屋にいったり、読書をしたりする、時間
  • 飼っているセキセイインコの世話をする時間
  • 花を持って足のわるいダリア嬢をたずねる時間
  • 寝る前に一日を思い返す時間

 これらはすべて、人が人を思ったり、自分以外の誰かや自分のために過ごす時間や、仕事を仕事として楽しむための時間、そういった、人間のこころと幸福に関わってくる大切な時間だと言える。この時間を「時間節約」という名のもとに無くしてしまった、フージー氏はじめモモの街の大人たちが送る生活は、空しくて貧しい。
 そんな「時間」について、語り手がこう語っている部分は、読んでいて胸がどきどきした。

 とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。・・・この秘密とは−−それは時間です。
 時間を計るにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。
『モモ』前掲 83頁より