ミヒャエル・エンデの世界

『モモ』、『はてしない物語』、『ジム・ボタンの機関車大旅行』及び『ジム・ボタンと13人の海賊』と、ミヒャエル・エンデの長編小説を読んできた中で、一貫して感じたことがありました。
彼の小説を読んでいると、まるで、本の世界が眼前に浮かび上がってくるような、本の描く世界に入りこんでしまうような気がする。登場人物たちの動き回る世界がすぐそこに広がっているように、ありありと想像することが出来る。そう感じたのです。
その理由の一つに、情景描写の精緻さがあると思います。こまやかな筆致が、見たこともない美しい世界や、おどろおどろしい町、荒れ狂う海や、切り立った千尋の谷、氷のような寒さや、呼吸も苦しい熱気など、描き出される様々な情景に、まるで著名な画家の筆になる絵画を前にしているような錯覚すら覚えます。
そういった、文章から生み出されるイメージの豊かさのために――たとえ物語の続きがある程度予想できたとしても――、エンデの生み出す世界に身を投じたくなって、最後の最後まで一字一句逃すことなく読んでしまう、ミヒャエル・エンデの文学はそういう特徴も持っているように思いました。
『モモ』の以下の部分は、これが作品の核となるシーンであるということもありますが、そこに広がる幻想的な美しさのために、作品を読み終わってからもずっとこころに残っている情景です。

金色のうすあかりが、モモをつつんでいました。
だんだんと目がなれるにつれて、じぶんが大きなまんまるい丸天井の下に立っているのがわかってきました。大空とおなじくらいあろうかとも思えるほどの大きさです。しかもそれが純金でできているのです。
天井のいちばん高い中心に、まるい穴があいています。そこから光の柱がまっすぐ下におりていて、そのま下には、やはりまんまるな池があり、そのくろぐろとした水は、まるで黒い鏡のようになめらかで、じっと動きません。
水面にすぐちかいところで、なにかあかるい星のようなものが光の柱のなかできらめいています。それは・・・大きな大きな振子でした。・・・
この星の振子はいまゆっくりと池のへりに近づいてきました。するとそこのくらい水面から、大きな花のつぼみがすうっとのびて出てきました。振子が近づくにつれて、つぼみはだんだんふくらみはじめ、やがてすっかりひらいた花が水のおもてにうかびました。・・・
『モモ』ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 岩波少年文庫 239〜240頁より